いったい現実を把握している者はいるだろうか

洋楽・映画などについて書いているブログです。映画・小説の感想ではもれなくネタバレを書いていますので、お気を付けください。ブログタイトルはシカゴの"Does Anybody Really Know What Time It Is?"より。

桃色と群青  ~その①:ヴェネツィア派絵画・フェルメール・ゴーギャン・荒木飛呂彦

0.はじめに

 最近、世の中では緑と黒の市松模様が、今までにないほどに意味を持ってしまって、特別な文脈を持たせずに、緑黒の市松模様を使うことは、不可能となってしまった。仮に表現者が完全にフラットに緑黒の市松模様を用いたくとも、受容者はそう観てはくれまい。

 また、トンボ鉛筆の消しゴムの配色や、セブンイレブンのロゴなどは「色彩のみからなる商標」として法で守られている。色の組み合わせというものは、強く、或いは、仄かに人の意識を捉え、時として非常に大きな人々の関心事となる。

 

 私にも数年来ずっと気になっている配色がある。それは桃色と群青を組み合わせたものだ。色相でいえば、補色というほど離れていないし、類似色というほど近くもない。下に示したような感じの色の組み合わせだ(下の組み合わせは群青というには少しライトかもしれないが)。人によってこの配色から受ける印象はいろいろと違うだろう。
 私がこうしたピンクとブルーを見て最初に思い起こすのは、この配色を気にする、そもそものきっかけとなった、ヴェネツィア派の絵画の数々だ。

 

 

1.ヴェネツィア派絵画

 ヴェネツィア派絵画とは、基本的には15世紀後半から16世紀にかけて、ヴェネツィアにおいて活躍した流派のことをいい、主な画家としてティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼなどが挙げられる。「線のフィレンツェ派」に比して、「色彩のヴェネツィア派」と呼ばれることもあるヴェネツィア派絵画であるが、ヴェネツィアの湿気の多さ故、フレスコが使えず、それ故に油絵の技法が発達し、その色彩表現に磨きがかかった、という説もあるようだ。
 代表的な画家は何と言ってもティツィアーノ(ca.1488/90~1576)で、彼の絵画では、ピンクとブルーの配色が非常に効果的に用いられている。

 

ティツィアーノ『聖家族と羊飼い』 

 

 上の絵は聖家族(イエス・キリスト聖母マリア、ヨセフ)と羊飼いが描かれたもので、マリアの赤い衣服、青いベールがとりわけ人目を惹く。
 聖母マリアアトリビュートは「天の真実を示す青いベール」と、「神の慈愛を示す赤い衣服」であるので、彼女がこの配色の服を着ているのは、なんら特徴的なことでもない、と言えるのだが、やはり注目するべきはその鮮やかさである。例えば下に挙げるのは、別の作家が同じ画題を描いたものであり、マリアは同じく赤と青の服を纏っているが、ティツィアーノのものほど、色彩が前景化されていない。

 

(左):オルトラーノ(ca.1480~1525、フェラーラ派)
(右):リドルフォ・ギルランダイオ(1483~1561、フィレンツェ派)

 

 そして、下の作品はティツィアーノが描いた『バッカスアリアドネ』である。

 

 

 テセウスに見捨てられて嘆く、アリアドネのもとへ、バッカスがやってくる様子が描かれている。画面の左で、船に向かって手を伸ばしているのが、アリアドネで、彼女に向って颯爽と戦車から飛び降りているのが、バッカスである。主役のバッカスアリアドネがそれぞれ、ピンクとブルーの服を着ている。バッカスアトリビュートにもアリアドネのものにも、青や赤の衣服というものは特にないが、先に挙げた『聖母子と羊飼い』と同様に、ピンクとブルーの色彩効果が特に目を惹く作品である。ティツィアーノにとって、ピンクとブルーという色が単なる聖母マリアアトリビュートではなく、色彩の構成において、重要な組み合わせであったということがわかる。

 

 

 上のティントレット(1518-1594)による『天の川の起源』においても、ヘラクレスが特徴的なピンクと青の布を身にまとっている。ヴェネツィア派の絵画は、豊かな色彩表現によって特徴づけられているといわれているが、その中でもやはり、特にピンクとブルーの鮮やかな組み合わせによって、その名声をより確固たるものにしているのではないか、と私は思うのである。*1

 そもそも、ヴェネツィア派の画家たちが、色彩豊かな絵画を完成させることができたのは、画材の発達があってのことだ。ラピスラズリ鉱石を原料としたウルトラマリンは文字通り「海を越えて」アフガニスタンからヴェネツィアへと輸入されてきた。

 

How Titian Depicted Blue Draperies. Ultramarine in Venetian Painting
How Titian Depicted Red Draperies

 

 上に挙げたサイトは、ティツィアーノが絵画に使用した青を分析したものである。ウルトラマリンは非常に高価であったため、基本的にはアズライトや鉛白などの下塗りの上に重ねて塗られているらしいが、『バッカスアリアドネ』などでは、絵の発注者のフェラーラ公爵の期待に応えるため、ふんだんにウルトラマリンが使われているという。
 また、彼が使う赤にはヴァーミリオンやレーキ顔料など、これまた高価な絵の具が使われていたらしい。
 ヴェネツィア派における色彩の革新性は画家個人のセンスだけではなく、新しい絵の具の登場などといった、時代の大きなうねりによっても達成されたのだ、ということもつく加えておかねばなるまい。

 

2.フェルメール

 ちなみにウルトラマリン(ラピスラズリ)というと、フェルメール(1632?-1675?)もまた、その有名な使い手ではあるが、彼の関心はピンクとブルーにはないようで、作品の多くは青と黄によって構成されている。

 

  

左から「真珠の耳飾りの少女」、「牛乳を注ぐ女」、「恋文」

 

 「恋文」でリュートを持つ女性が着ている黄色いジャケット*2は、「手紙を描く女」「真珠の首飾りの女」や「ギターを弾く女」においても、まったく同じように描かれている。フェルメールの財産目録には「黄色のサテンのジャケット、白の毛皮縁付き」という記述があり、実際に彼がこのコートを所有していたであろうことがわかる。フェルメールがたまたま、この黄色いジャケットを持っていたから、作品に黄色が多く取り入れられることになったのか、はたまた、自分の作品には黄色と青が必要だと感じて、モデルに黄色のガウンを着せていたたのかは、わからないが、とにかく、画家というものには自家薬籠中の配色があることがわかる。

 

3.荒木飛呂彦

 そして、現代においても、ピンクとブルーの組み合わせを、自作において特別なものとしていると公言している作家がいる。ジョジョシリーズの荒木飛呂彦である。
 確か、『岸部露伴ルーブルへ行く』の中のインタビューであったと思うのだが、荒木飛呂彦は「ピンクとブルーは自分にとって特別な色の組みあわせなので、ここぞというときのためにとっておいて、濫用しないようにしている」というようなことを言っていたように思う。
 また、ピンクとブルーについては、他のところでも公言していて、NHK Eテレの『日曜美術館』、モーリス・ドニ回でも同じようなことを言っている。

荒木「これはですね、あの、桜が青空にあるような組み合わせなんですね。水色っていうか、ちょっとグリーンがかった…、だから、桜と空の組み合わせで『無敵』なんですね。すごく困った時にこの組み合わせをやるんですよ。ぜったい間違いないんです、水色とピンクって。なんかアイデアが無いときはこれに頼ってるっていう…、ちょっと今、あんまり言っちゃいけない事を…(苦笑)」

 

直接の引用は「@JOJO JOJOの奇妙なニュース」2011年10月6日記事より、またこちらの記事にも荒木飛呂彦のピンクとブルーによる作例が多数の掲載されている

 ただ、ここ最近の荒木飛呂彦のピンクとブルーへの頼り方は、もはや、「ここぞというときの秘技」といった域を超えており、もはや「ピンクとブルーこそ荒木飛呂彦だ」として自らのブランディングの一環として使うところまで、振り切れているのではないかとも思われる。現時点(2020年12月)における彼の最新作、『ジョジョリオン』25巻の表紙も、見事にピンクとブルーである。

 

  

左より、『岸部露伴ルーブルへ行く』表紙、荒木飛呂彦原画展ポスター、『ジョジョリオン』(25巻)表紙

 

 荒木飛呂彦は、創作者としては、手の内を景気よく明かしてくれるタイプなようで、そのピンクとブルーの影響元についてもメディアでたびたび語っている。
 まずは上でも触れたドニ。そしてゴーギャンについても以下のように触れている。

確かゴーギャンの絵に、空が赤くあるいは白く描かれていたりするのを、子どものときから不思議だと思っていたんですが、そうか、「画家はこころの中を絵にするんだな」って思いました。

 

『青波~ブルー・ヴァーグ~』(発行:国土交通省)Vol.07/2004 Winter号より(現在、公式ではリンクが切れているが、Waybackmaschineのアーカイブより閲覧することができる。)

 

左:ドニ『バルコニーの子供たち、ヴェネツィアにて』
右:ゴーギャン『海辺の騎手たち』

 

 ゴーギャンというと、ゴッホとの共同生活の破綻や、『月と六ペンス』の影響もあって、結構な人格破綻者であるようなイメージがあるが(実際そうかもしれないが)、画壇の先輩としては、なかなか影響力があったようだ。1888年ゴーギャンがまだブルターニュにいた頃、画家のポール・セリュジエが彼のもとを訪れ、共に写生をすることとなる。その時、ゴーギャンは、心象の赴くままに、美しい色を大胆に載せて森を描くよう、セリュジエに助言する。そうした言葉に感銘を受けたセリュジエはパリへ帰り、仲間のドニらとさっそくナビ派を立ち上げる。「ナビ」とはヘブライ語預言者の意であり、セリュジエやドニらが預言者であるのならば、神というのはゴーギャンのことを指しているのだろう。後輩から神格化されている様子は、確かに『月と六ペンス』の感じなんかも思わせるのだが、ともかく、ゴーギャン→ドニ→荒木飛呂彦というラインがあるということがわかる。
 ゴーギャン、ドニ両者ともに、ピンクとブルーを印象的に使った作品は、上に挙げたものの他、数多くあるが、それらが、ヴェネツィア派絵画の影響を直接受けているかどうかはわからない。しかし、それでも写実を超え、色彩そのものを前景化させるという点(しかもそれがピンクやブルーである点)においては、なんらかの影響関係があるのではなかろうか。ドニの『バルコニーの子供たち、ヴェネツィアにて』がそのタイトル通り、ヴェネツィアにおいて描かれているということにも、何らかの意味を感じてしまう。
 また、荒木飛呂彦もイタリア芸術に通暁している人なので、その色遣いにもヴェネツィア派絵画の影響があるように思われる。
 ただ、このあたりの「ヴェネツィア派絵画」と「ゴーギャンナビ派荒木飛呂彦ライン」の関係については、調べが足りないので、今後も注目して調べてゆきたいと思う。

 

4.おわりに

 ということで、いろいろ書いてきたが、この記事を書いた理由のうちの一つに、ヴェネツィア派絵画におけるピンクとブルーについての言説が、ネットの日本語環境においては、気軽にアクセスできる位置に転がっていないという現状があったからである*3。おそらく論文などを丹念に漁れば、そのような情報を見つけることできると思うのだが、こうした方面には全く明るくないので、恥ずかしながら情報の探し方すらもわからなかった。そもそも「ヴェネツィア派絵画においてはピンクとブルーの色使いが特徴的である」という私の意見は、全く的外れかもしれないし、この記事にも多くの訂正されるべき箇所があるかもしれないが、ぜひこの記事をたたき台、ハブとして、情報が集まってくればよいと思った次第である。何かご指摘等あればぜひコメントを付けていただきたい。
 桃色と群青については、まだもう少し思うところがあり、現代における使用のされ方についても、書いていきたいと思っている。できるだけ早く書ききってアップロードしたいものである。

*1:ヴェネツィア派ということでティツィアーノ、ティントレットの作品を例に挙げたが、一口にヴェネツィア派といっても、もちろん各個人、時期により、作風は異なる。
 例えばティントレットはティツィアーノと比べると基本的に画面が暗く、くすんでいる(この辺のことは絵画の保存状態や劣化具合とも関係あるかもしれないが)。上に挙げた『天の川の起源』はティントレットのカタログの中でもとりわけ鮮やかな作品なので、「ヴェネツィア派といえばピンクとブルー」という自説のために少し我田引水をしてしまった感は少しあるが、やはりそんなティントレットの作品にあっても下の作品のように、ピンクとブルーを色調の主体とした作品はいくつもある。

 

 

左からティントレット『聖マルコの運搬』、『聖ゲオルギウスと竜』

 

 また、ヴェロネーゼも、確かにピンクとブルーの組み合わせを効果的に使うことはあるが(『キューピッドによって結ばれるマルスとヴィーナス』など)、上の二人と比べてももう少し多彩な色彩表現をしている。

 

 

左からヴェロネーゼ『マグダラのマリアの改心』、『キューピッドによって結ばれるマルスとヴィーナス』


 彼の代表作のうちの一つ、『カナの婚礼』では人々が様々な色の服を纏っており、何か特定の色を目立たせようという意図は感じられず、むしろ、画面全体で統一的な色彩イメージを作ることに成功している。

 

 Wikipediaの受け売りだが、20世紀のイギリス人芸術家ローレンス・ゴヴィングはヴェロネーゼについて、次のような言葉を残しているようだ。

 

評論家テオフィル・ゴーティエ1860年に書いたように、フランス人はヴェロネーゼが西洋美術史上でもっとも色彩を重視する画家だと考えている。同じく色彩感覚に定評のあるティツィアーノルーベンスレンブラントよりも遙かに上だとしており、これはヴェロネーゼが伝統的な明暗法の技法のままに自然な立体表現を確立した画家であると見なされているためである。19世紀のフランス人画家ドラクロワは、ヴェロネーゼが現実にはあり得ない強引な明暗方を用いることなく、暗部の色合いの移り変わりを表現していると評価している。/ヴェロネーゼのこの革新は筆舌に尽くしがたいものである。ヴェロネーゼの作品に見られる調和のとれた美しい屋外風景は、19世紀の画家たちにとっても手本となり着想の源となった。ヴェロネーゼが近現代絵画を確立したと行っても過言ではない。しかしながらヴェロネーゼの作風が印象派の芸術家たちが考えているように純粋に自然主義的なものなのか、あるいはより繊細で巧妙に計算された想像上の産物なのかについては、それぞれの時代によって議論の余地がある。

 

ヴェロネーゼの色彩表現がどれほど「自然」であったのかという点はゴヴィングも指摘しているとおり、よくわからないとしても、少なくとも、彼が良い意味でも悪い意味でも「ピンクとブルー頼み」の作家ではないことはわかるような気がする。
 とまれ、なんといっても、ピンクとブルーという配色のイメージがあるのは、何といってもティツィアーノその人であろう。もしもヴェネツィア派絵画の特徴の一つに「鮮やかなピンクとブルー」という項目があるとするのならば、やはりそこでもティツィアーノが第一席となるのではないか。ティツィアーノが、しばしばヴェネツィア派絵画を代表する画家とされるのも、その辺りに理由があるのではないか、私は思うのである。

*2:私はこの黄色いガウンについているのが、白貂の縁飾りだと思っていたのだが、以下の論文によると、このガウンの縁が白貂のものである可能性は低く、「ネコ、ウサギ、リスなどの白い毛皮縁のついた妻のジャケットをモデルにし、黒い斑点を描き足して6点の中では最も早い≪真珠の首飾り≫を制作したと考えられる」という見解が示されている。
三友 晶子「フェルメールの斑点入り毛皮をめぐる「アーミン」言説の再考 絵画における服飾表現の現実性」日本家政学会誌、2005 年 56 巻 9 号 p. 617-626。

*3:とはいえ、googleで「ヴェネツィア派絵画 ピンク ブルー」と検索すると、2017年に東京都美術館で開催された「ティツィアーノヴェネツィア派展」の記事がヒットする。それによるとこの展覧会の前売り券にはパスケースが付属しており、その色をピンク・ブルー・ブラウンの中から選ぶことができるらしい。

ティツィアーノヴェネツィア派展」公式ツイッターアカウントより

 やはりティツィアーノといえば、ピンクとブルーという認識があるからこうした色の選択になっているのではなかろうか。ちなみに、ブラウンもラインナップの一つとして挙げられているが、海外では、ティツィアーノがよく描いているようなオレンジブラウンの髪のことを「titian hair」というそうだ。なるほど、ピンクとブルーだけでなく、ブラウンもまた彼の色らしい。

wikipedia「titian hair」の記事より